『新説幕末明治維新』

筆者の研究と創作を交えた新説で幕末・維新を書いてみます。新しい<読み物>として捉えて頂ければ幸いです

あくまでも【創作】として書いていきます。たくさんの歴史愛好家さん達と、それぞれの歴史観を共有できるような場所になればいいなと思っています

※※※※※記事に使う画像は、ネット上から無断で使わせて頂こうと思います。宜しくお願いします(ルール上問題ないのかな・・・汗)※※※※※

『日米の盟約』

【白洲次郎と吉田茂】
みなさんこんにちは。いよいよ今日で最終回となりそうです。最後までどうぞ宜しくお願い致します。


<日本とアメリカの密約とは>


白洲次郎は、東北電力初代会長であり、終戦後すぐに吉田茂首相の求めに応じGHQとの交渉役を民間人でありながら勤めた人物であります。筆者の尊敬する人物の一人で、外国人に対し一切遠慮することなく対応する姿勢から【外国に媚びない従順ならざる唯一の日本人】という評価を受けています。


恐らくですが、彼は源氏の本家からの命を受けマッカーサーと交渉を進めていたと考えています。(彼の妻は鹿児島士族樺山資紀の孫である正子です。鹿児島田布施と深く関係があると思われます)


一方、吉田茂麻生財務大臣の祖父であり、明治維新の英傑である大久保利通の血を引く名家出身の政治家として有名です。白洲と共にサンフランシスコ平和条約の調印式に参加をしています。


その二人と戦後の日本について交渉の席についたのが、有名なダグラス・マッカーサー元帥です。彼は、スコットランド貴族の血を引く名家でアーサー家出身のエリートでした。


1945年4月アメリカのルーズベルト大統領がソ連のスパイにより暗殺をされると、副大統領であったトルーマンが大統領に昇格します。その時期にはソ連のスターリンが連合国の実権を握っていたと言って良いでしょう。日本との不可侵条約破棄や北海道侵攻など、次々に勝手な行動を取るようになります。


日本に原子爆弾(実際はTNT火薬爆弾)が投下され、日本の敗色が濃厚となり、海軍はアメリカ軍と水面下で和平交渉(実際は自分たちの保身交渉)を行います。ポツダム宣言受諾後は東京裁判が行われ、多くの戦犯に対し刑が執行されていました。しかし、昨日も書きましたが日本には戦犯など一人も存在しません。戦争という行為自体が罪なのであり、戦争責任は日米双方にあると言えるからです。


日本を統治する目的で来日したマッカーサーですが、日本に責任が無かったこと、そしてアメリカ側に多くの責任が有ったことの両方に気がつくことになるのです。


しかし、一般国民を100万人も殺害したうえ、多くの戦犯と呼ばれる人物を処刑したあとにそれを認めてしまえば、アメリカは世界から猛烈な非難を受けることになり、ソ連が世界中を席巻するきっかけを与えることになってしまします。要するに、アメリカですらソ連の罠に嵌ってしまっていたという現実を知ることになったわけです。


故に、第二次世界大戦は、ソ連と言う共産主義国が世界を支配する野望を果たすため、世界中にスパイを配置し、裏で暗躍をした結果起こった世界戦争であるということになりますね。


終戦後そのことに気がついた白洲・吉田・マッカーサーの3氏は、アメリカが公式文書を60年間秘匿することを利用し、密約を交わしたのであると筆者は考えます。


その証拠として、前回も書きましたが、マッカーサーはアメリカに帰国後下院に於いて、日本に戦争責任がなかったことを公式に報告しています。(マッカーサー文書)


それが公開となった平成20年頃から、当時の真実が続々と明らかになり始めます。日本では安倍総理大臣、アメリカではトランプ大統領、ロシアではプーチン大統領が政権を握っていた時期と重なります。安倍総理の側近は麻生財務大臣兼副総理大臣ですよね。


アメリカが終戦後計画していた、日本に対する侵略政策がプランAであり、表面上はそれを実行する形の裏で、実はプランBが水面下で動いていたということになります。

プランB・・・つまりこの時期まで、日本は戦争に敗れたことにするという密約を結んでいたのでしょう。要するに死んだ振りをするということです。これに気がついた時、筆者は涙が溢れて止まりませんでした。


終戦の詔勅(玉音放送)で、昭和天皇が語っておられた言葉の内容が理解できたからです。



        <耐え難きを耐え、偲び難きを偲ぶ>

これから、日本は世界のリーダーとして先頭に立つことになります。負けたことにして死んだ振りをしながら、ずっと我慢をして経済力をつけてくれていた先輩方の想いを受け継いで行かなければなりません。世界中が日本を目標として方向性を同じにする日が近づいて来ています。1972年、沖縄が日本に返還され、また、日中友好条約も締結されました。その年に生まれた昭和47年生まれの第二次ベビーブーム世代がリーダーとなります。

それ以降生まれの世代は、リーダーに続いてください。世界を一つに、そして平和に導くための大仕事が待っています。日本だけでなく、悲惨な戦争で散って逝かれた多くの先輩方の想いを受け継ぎ、世界を戦争のない平和なものに創り換えていきましょう。


未来の人類が歴史を学んだ時、現在の私たちが成し遂げたことに揃って感謝をしてもらえるような選択を、今やれば良いのです(笑)


のためには、歴史をしっかりと学んでください。世界中で何が起こったのか、何が悪かったのか、どうすれば世界が平和になれるのか。世界中で正しい歴史の教科書を作りましょう。世界中が未来永劫仲良く、手を取り合って、楽しく暮らせる社会を作りましょうww

最後に
とっても大切なことを書きます。終戦により、GHQから憲法を変えられました。しかし、一番重要なメッセージがこの憲法に込められています。それは・・・



「国民主権」

これが一番重要な先人のメッセージです。国の大事な未来を作るのは我々国民であるということです。政治家が国を変えるのではありません。私たち一人ひとりにその決定権があるという非常に重要なことをこの憲法が保証してくれています。


まずは、有権者が全員選挙に参加しましょう。政治家に文句を言う前にしっかりその義務を果たし、そして権利を行使するのです。今に不満があるのであれば、自分たちでその社会を変えることができるのですよ(笑)家族で一緒に政治に参加する機会を持てれば最高ですね。がんばりましょう(w)


投票先が無くて困っている方、次回の参議院選挙では是非「新党くにもり」へ投票してみませんか?掲げている政策は、正直もう少し踏み込んで欲しいと感じますが、現有政党よりも遥かに国民ことを考えてくれていると思えます。


一番の近道は、現在世界を席巻している「欧米型資本主義」「日本型資本主義」に転換することではないでしょうか。一部の層にお金が集まる現在の仕組みを、三方良しの精神に基づく仕組みに転換することができれば、日本は世界をリードできるはずです(笑)


企業も従業員もお客様も公平に文明を享受できる新しい経済体系の確立を目指しましょう。
難しいことではありません。みんなが欲のコントロールをすればいいだけです。現代版の縄文時代をイメージすれば簡単でしょ(^^)墓場までお金は持っていけません。お金は生きている内に、活きた場面で気前よく使っちゃいましょう~~~~。


もしも会社が言うこと聞いてくれないのなら、仕方がない、どんどん内部告発しちゃいましょう(笑)みんなで正しいことを言い始めたら、悪いことしてる人も恥ずかしくなるはずです。誰も指摘せず、見て見ぬ振りをしてるから裸の王様がたくさんいるんじゃないでしょうか(笑)


アチマリカムアチマリカムアチマリカム世界が平和でありますように😁

ってことなんで~、以上でこのブログは終了となります。良かったらこれからもどうぞ宜しくお願い致します(笑)それではみなさん、さようなら~~~~~~(笑)











『東京裁判と戦後日本』

【東京裁判と戦後日本】
みなさんこんにちは。今回で最終回と言いましたが、予定変更であと2回となりそうですw


<東京裁判とその後>
1946年(昭和21年)から極東国際軍事裁判所に於いて行われた裁判。戦争犯罪(A)、平和に対する罪(B)、人道に反する罪(C)などで裁判が行われた。多くの戦争指導者が絞首刑や禁固刑を受ける。何故か海軍軍令部総長は罪を逃れました。


やはり、海軍はアメリカ軍と司法取引を行っていたようですね。海軍大臣や軍令部総長が無罪となっています。一方陸軍側は悉く罪に問われています。裁判は公平に行われなければなりません。しかし資本主義の国では勝った方が全ての権利を握ります。経済であれば、お金を持つものが勝者で、持たないものは敗者であるということになってしまう。


そもそも、戦争は国際法に於いて認められている権利です。自衛を目的とする戦争であればそれは当然の権利でしょう。ですから、先制攻撃をさせる必要があったわけです。現在の法律で表現するならば、正当防衛に該当します。


石油の輸入をABCD包囲網に止められた日本。粘り強く交渉を重ねようと試みますが、一切無視され続けました。せめて石油の備蓄があるうちに真珠湾のアメリカ艦隊を攻撃し、緒戦の優勢を作ろうとしました。完全な自衛戦争ですね。しかも、アメリカ側は真珠湾への攻撃を事前に知っていました。そして、戦争を起こした罪を、一方的に東条英機首相に被せたのです。



裁判に参加したパール判事の言葉を読んでみると、如何にこの裁判が不当なものであったかを知ることができます。


東京裁判、そして日本国憲法制定自衛隊の前身である警察予備隊の設立。それを以ってGHQは日本を離れるのですが、前回の記事に書いたとおり、総責任者であったダグラス・マッカーサー氏が帰国後、アメリカ下院に於いて、正式にアメリカの責任について言及した報告書を提出しています。


GHQマッカーサーと吉田茂との密約について、いよいよ次回の記事で書いていこうと思います。これは日本人にとって非常に重要な密約です。お楽しみに(笑)


<終戦で日本が失った主なもの>


①天皇制
②財閥
③皇族・華族
④経済の自主権
金本位制(これは非常に重要な損失です)
日本人の尊厳・誇り


戦後、日本はなぜ他のアジア諸国同様植民地とされなかったのでしょうか?不思議に思いませんでしたか?結局沖縄が獲得できれば良かったということになりませんか?


終戦から僅か数年で驚異的な復興を遂げた日本。


1964年(昭和39年)第一回東京オリンピックを開催するまでに至ります。その後、高度経済成長を迎え、世界第二位の経済大国へと成長をしていくことになるのです。


ってことなんで~、いよいよ次回で最終回となりそうです。最後までよろしくです(笑)

『終戦とポツダム宣言受諾』

【終戦とポツダム宣言】


みなさんこんにちは。今回と次回で、このシリーズは終了となりそうです(笑)何卒最後までよろしくお願い致します。


<終戦と敗戦について>
昭和20年8月15日。日本はポツダム宣言を受諾。9月2日、戦艦ミズーリ号上に於いて、重光外務相が降伏文書調印。日本は敗戦国となる。教科書などで教えられる事実です。


これから書くことは、恐らくほとんどの方が初めて知る内容だと思います。筆者の感覚で感じたことをそのままに書きます。(これまでもそうでしたけどww)


ポツダム宣言を和訳したものを以前読みました。書いてあった内容を簡単に説明します。


日本帝国陸軍・海軍の無条件降伏と武装解除
②戦争犯罪人の処罰
③カイロ宣言の履行


大事なところは①です。軍の降伏を求めていますよね。戦争の定義はなんですか?軍と軍の争いですか?違いますよね(笑)国家と国家の争いであり、軍はその手段です。日本国の降伏は求められていませんし、日本側もそれには応じていません。したがって、敗戦ではなく終戦であるのです。


もう一度言います。日本は終戦をしたのであり、決して敗戦はしていないと言う事です。


前にイギリスと日本は日英同盟を結んでいたと書きましたね。一度は解消していますが、一度条約を結んだ国同士、絆は切れていなかったという判断をすることができます。


大東亜戦争開戦時、日本はドイツ・イタリアと三国同盟を締結しており、イギリスとは敵対関係にありました。しかし、筆者の推測ではソ連とアメリカに世界を蹂躙されては困ると考えたイギリスが、言わばスパイ的目的を持って連合国側についていたのだと思われます。


イギリスが使う英語はポルトガル語由来であり、アメリカが使う英語とはスペルから文法まで大きく異なります。恐らく、ポツダム宣言の原文を起草したのは、イギリスのウインストン・チャーチル首相でしょう。アメリカに気づかれないように細工を施した原文を作り、日本側が不利にならないよう工作をしてくれています。


イギリスと日本は明治維新の頃から絶対的な信頼関係を構築していたと考えられます。イギリス大使館は、皇居の真北の位置に存在します。信頼関係の確たる証だと言えますね。


また日本の皇室は、イギリス王室よりも位が遥かに上位であると先日記事に書きました。そういうことですww日本の皇室を守るため、表面上連合国側についていたということです。


加えて日本には、有事の際に天皇と国民を守る組織があることも説明しましたよね。その組織と英国王室がしっかりと連携をしていたのだと判断することができるでしょう。


そして、いよいよ次回がクライマックスとなります。戦後、GHQと対峙した吉田茂首相と白州次郎がマッカーサーとの間に結んだ密約が存在します。筆者もこのことに気がついた時は涙が溢れるほど感動したのを未だに覚えています。


ってことなんで~、いよいよ次回が最終回となりそうです。お楽しみにっ(笑)

『太平洋戦争まとめ②』

【太平洋戦争まとめ②】
みなさんこんにちは。前回に引き続き、太平洋戦争のまとめを書いていこうと思います。


<東京大空襲と原爆投下>


①東京大空襲について


昭和20年3月10日東京に大空襲が行われました。僅か一日で10万人もの一般国民が殺害されました。しかも、殆どの死者が生きたまま焼き殺されたのです。まず、円形に火災を起こし、市民が逃げ場を失った状態で、その円の中を焼くと言う卑劣な手段を採っています。


その司令官であったカーチスルメイ将軍に、戦後日本は勲一等旭日大綬章という最大級の叙勲を行っています。昭和天皇は強く反対したと伝えられていますが、一番強く叙勲を推奨したのは、特攻作戦を主導した源田実でした。海軍大臣であった米内光政同様、アメリカ軍と司法取引を行っていたのではないかと推測しています。彼は、自衛隊の創設にも深く関わりを持っています。


②原爆投下について


昭和20年8月6日に広島、8月9日に長崎。ともに世界初の原子爆弾が投下されました。


しかし、最近理解できたのですが、日本には原爆は投下されていません
恐らく、ばかデカい【TNT火薬爆弾】だったと思います。チェルノブイリ原発事故、そして福島原発事故、いずれも事故後ヒトが住めない状況になっていますよね。しかし広島、長崎では投下直後から復興が開始され、自然にも悪影響が出ることなく現在に至ります。


放射能による原爆症の症状は、火傷を負った患者が治療に訪れた際、放射能症状を引き起こすワクチンを投与したのではないでしょうか。


要するに急性骨髄性白血病患者を作ったということです。インフルエンザワクチンや子宮頸がんワクチンも同じ理屈です。ワクチンを打った人ほど発症している印象が強いです。今の時期だと、熱中症も意図的に作り出されています。コロナのワクチンも、数年後恐ろしい後遺症が出て大騒ぎになっていなければいいのですが・・・


長崎に原爆(TNT爆弾)が投下され、日本の戦意が失われた寸隙を縫って、ソ連が日本との不戦条約を一方的に破棄し、北海道へ侵攻を開始。僅か数日で戦勝国となり、北方領土を強奪するという暴挙に出ます。条約とは国家間の最大級の約束事です。それを一方的に破棄する国。そして国際法違反を堂々と犯し一般国民を100万人も虐殺した国。その2国が未だに国連の常任理事国であり、世界をリードしています。


この世界を巻き込んだ大きな戦争で、一番得をしたのはどこだと思いますか?一番頑張ったのはどこだと思いますか?私たちは果たして反省をし続けなければならないのでしょうか?



人類は過去に何度も同じ過ちを繰り返してきました。もうそろそろ世界中で一度しっかり過去に学び、そして反省をすることはできないものでしょうか。暴力で平和を築くことは絶対にできません。恨みは恨みを生み、怒りは怒りしか生みません。逆に言えば、助け合いは助け合いを生み、思いやりは思いやりを生むものではないでしょうか・・・・・・


っていうことなんで~、太平洋(大東亜)戦争についてはここまでとします。

『太平洋戦争まとめ①』

【太平洋戦争まとめ①】


みなさんおはようございます。今日は太平洋戦争のまとめについて書いていきます。


大東亜戦争は、一般的に太平洋戦争と呼ばれています。太平洋戦争と言う呼称は終戦後にアメリカが付けたものであり、正式には大東亜戦争太平洋戦線と呼ぶのが正解だと思います。


また学校では、日本がアジア諸国を侵略した『悪いことをした戦争である』と教えられますよね。しかし、実際はそうではなく、資本主義の白人支配からアジアを解放しようとした戦いであったという真実を少しでも多くの日本人に知って欲しいと思います。


当時のアジア諸国は、日本を除いてすべての国が白人の植民地とされていました。教科書を見直してみればわかります。そこには、植民地の証である『領』が国名に記されているはずです。


仏領インドシナ、アメリカ領フィリピン、英領マレー・・・などなど。要するに侵略を受けて既に植民地にされていたということになります。日本はアジア諸国の中で、白人に対し唯一、アジア諸国を解放する目的で、負けることを十分覚悟した上、戦う決心をした勇気ある国だったのです。


※戦後、アジア諸国は日本の勇気に力を得て、次々に独立運動を起こし見事に独立を果たしていきました※


日本が戦ったのは、アジア諸国に駐留する白人の軍隊。アジア諸国を侵略したのではありません。それを白人諸国は侵略と言い換えたのです。自分たちは、それ以前に堂々と侵略をしておきながら、解放のために戦った日本を侵略国家としました。


要は逆切れをしたということになりますね。南京大虐殺も従軍慰安婦問題も全くの嘘で、あとから作り出された話でしかありません。アジア諸国は、自分の国とアジアの国々を守るために、命がけで戦った日本人を尊敬しています。


逆に白人はそんな勇気ある国が怖く、邪魔だっため、国際法を無視して無差別空襲(絨毯爆撃)をした上、原爆を落としたのです。


戦争末期になると、ボーイング社製B-29により悲惨な空襲が繰り返され、尊い数十万の命が失われた。次いで沖縄上陸戦や原子爆弾でも50万人近くの犠牲者を出し、合計約100万人もの罪無き一般国民がこの世から消し去られてしまったのです。


またソ連とは不可侵条約を結んでいたにも拘わらず、終戦間際、突如北海道に侵攻を受けた。北の大地でも尊い一般国民の命が失われた事を忘れてはならない。


その後、GHQにより憲法は変えられ、子供たちには学校で嘘の歴史を刷り込まれていきました。治安維持法、公職追放などの悪政も、思想教育に拍車をかけた大きな要因と言えるでしょう。多くの自虐日本人を、70年という長い時間をかけて少しずつ作りあげていったと言うことです。しかし日本は決して侵略国家ではなかったし、いつまでも自虐を続ける必要はありません。


戦後、日本の敗戦処理を行ったアメリカの総司令官ダグラス・マッカーサー氏はアメリカの議会に於いて、『日本は侵略ではなく自衛のための正しい戦争を行った』と述べています。(アメリカ公文書館に所蔵されている公式文書が公開されています)


またフーバー元アメリカ大統領が、開戦当時のルーズベルト大統領の企みとアメリカの罪について公式に述べている資料も公開されています。(同公文書館所蔵)
<ルーズベルト大統領は恐らく1945年にソ連のスパイにより暗殺されたと推測されます>


要するにあの戦争は、白人の利益のために巧妙に仕組まれたうえで起こされたということと、日本が、自国とアジア諸国を白人支配から解放するために、正しい自衛戦争を戦ったのだという証拠の両方が公に示されたということになります。


加えて、歴史や過去を学ぶことの大切さを深く考える国民が増えてほしいとも思います。韓国の竹島問題、中国の尖閣諸島問題、ロシアの北方領土問題、北朝鮮の拉致問題などなど日本の気弱な姿勢が、未解決のままになっている最大の理由だと言えるのではないかと感じる。


刻一刻と世界情勢は変化します。アメリカが明日裏切ることだってあり得ない話ではない。ひとりひとりがじっくり考えること、それが大切なのではないでしょうか。


正しい歴史を見直し、憲法を変え、自衛隊を国防軍にするだけでアジア情勢は大きく変化する。当時の日本人がやろうとしていた、理想的なアジア共栄圏が生まれることになる。今の平和と自由を命がけで守ってくれた先人への感謝を忘れずにいたいものですね。


ってことなんで~、次回は原爆投下について持論を展開してみることにしますっ(笑)