『ペリー来航と尊皇攘夷②』
【ペリー来航とその背景②】
引き続き、同じテーマで記事を書きますね。
教科書での説明では、ペリーが黒船に乗って来航し、幕府に対し強引に開国を迫り、武力に屈して開国を許した的な印象を持ちませんでしたか?それに反抗した幕末の志士たちが攘夷を叫んで尊王攘夷運動が過熱。そして、外国に屈した幕府を、下級武士の若者たちが倒したのが明治維新である。的な\(^^)/
まぁ、ちょびっとは正解ですが、本当のところは全く違うと考えています。
詳しく説明すると、ものすごーく長くなるし、多分めっちゃ難しくなるので、あくまでもこのブログでは、背景と概要だけをお伝えしようと思います。最終的には、色々な方の研究成果を出し合って、正しい歴史の教科書を作ることが筆者の目的ですので、その時に詳細をお伝えします。それまで待ってて下さいませ(笑)
とはいえ、背景と概要だけでも相当のボリュームがあるんですよね・・・(汗)
まぁ、ボチボチがんばりまーす。
教科書では、幕末になると幕府の力が弱くなっていたと書かれています。でも、決してそうではなかったと思います。幕府の力というよりも、将軍の力(権力)が弱っていた。それはそうです。過去の幕府をみても、現在の政治家や会社の経営者をみても同じ状況でしょ。
創業した人物の理想や、思想などが次第に薄れてくるからです。世襲制の弊害と言えばわかりやすいかな(笑)金持ち三代続かずなのです。代表者の力が弱くなると、必ず発生するのが【後継者を巡る権力争い】ですよね。いつの時代も、人間が考えること、実行することなんて同じですよね。
当然、ここにもこのブログのテーマである【源氏と平氏】の争いが表面化してきます。徳川将軍家は源氏ですので、敵対するのは当然平氏と言う事になります。そういった目線で次の記事から幕末を眺めてみることにします。
ってことなんで、またまた同じテーマ3回目ですが我慢してもらいたいでござんす