『新説幕末明治維新』

筆者の研究と創作を交えた新説で幕末・維新を書いてみます。新しい<読み物>として捉えて頂ければ幸いです

あくまでも【創作】として書いていきます。たくさんの歴史愛好家さん達と、それぞれの歴史観を共有できるような場所になればいいなと思っています

※※※※※記事に使う画像は、ネット上から無断で使わせて頂こうと思います。宜しくお願いします(ルール上問題ないのかな・・・汗)※※※※※

『幕末の出来事要点②』

【将軍継承問題】後編


1866年(慶応2年)第二次長州征討の途上、謎の急死を遂げた家茂に代わり、15代将軍となった一橋家(水戸)出身の徳川慶喜。ご存知の通り、江戸幕府最後の将軍となります。正室である妻は、五摂家の公家一条家から迎えています。在職期間は僅か1年間であり、江戸城に入らず、京都の二条城で執務を行いました。


13代将軍家定の頃から後継職争いの筆頭格にされ、様々な派閥に翻弄されていたようです。正直、慶喜についてはあまり見識がありません。しかし、一般的に知られている慶喜よりは相当優秀であり、時流を読む才能も豊かであったと考えています。


慶応の時期に入ると、安政の大獄や桜田門外の変などの影響もあってか、幕府内の勢力争いもある程度落ち着きを見せており、案外すんなりと継承問題は終息したように感じられます。


そもそも桜田門外の変や安政の大獄そのものが、勢力争いの結果であるわけですから、それも当然のことと考えれば自然に理解ができますよね。


また朝廷工作は、ほぼ薩摩藩勢力が占めるようになっており、慶喜が将軍に就く前後で、大勢は尊皇攘夷から開国へと固まっていた時期だったと思えます。


さらにこの時期は、開国か攘夷かを争っていた時期を経て、倒幕・維新の流れが急速に巻き起り始めていた時期に移行していたと言えます。


先ほど登場した天璋院とは、相当関係が悪かったようです。要するに天璋院の思惑外の立ち居地にいた存在であったと言えるのではないでしょうか。


それから、勘の鋭い方は既に気が付いていらっしゃると思いますが、実はこの時期、源氏内部の勢力争いが見てとれますよね。単純に源氏VS平氏ではないところが、話を複雑化している大きな要因だと言えますね。


そして、1867年(慶応3年)薩摩長州による倒幕の動きを察知し、自ら政権を朝廷に返上します。これが世に言う大政奉還です。時流を読む能力を発揮し、倒幕の流れを押さえ込み、征夷大将軍として朝廷と上手く連携し、全国の大名を取りまとめようとしていたのです。


また、軍事的にはフランスと提携しており、薩摩長州はイギリスと結んでいました。しかし、どちらも資金の出所はロス・チャイルド家であり、戦争が起きて武器が売れることを第一の目的としていました。ここでも、キリスト教と武器の関係が見て取れます。


一方アメリカでは、ロックフェラー家が南北戦争で莫大な利益を得ていた時期とも重なります。


この時代を境に、アジア権益を巡るロスチャイルドVSロックフェラーの代理戦争が延々と続いていくこととなり、世界は「燃料・領土・金融」と言う3種の神器に操られる暗黒時代へと突入することになっていくのです。


欧米型資本主義の確立と言えますね。産業革命の時期とも重なり、経済至上主義が世界を席巻するきっかけの時代であったと言えるでしょう。


この辺りの流れは、次回以降の記事でも触れることになりますので、今日は簡単にしておこうと思います。


ってことなんで、今日はこの位にしておくでござんす(笑)またお会いしましょう(笑)

×

非ログインユーザーとして返信する