『新説幕末明治維新』

筆者の研究と創作を交えた新説で幕末・維新を書いてみます。新しい<読み物>として捉えて頂ければ幸いです

あくまでも【創作】として書いていきます。たくさんの歴史愛好家さん達と、それぞれの歴史観を共有できるような場所になればいいなと思っています

※※※※※記事に使う画像は、ネット上から無断で使わせて頂こうと思います。宜しくお願いします(ルール上問題ないのかな・・・汗)※※※※※

『幕末人物伝①』

【横井小楠】肥後熊本


みなさんこんにちは。今回の記事から、幕末の人物について考証していこうと思います。
とにかく、幕末は人物の相関関係がとても複雑になっていきます。でも、ここが一番面白
いと筆者は考えていますので、できるだけ完結に説明してみようと思います。


<横井小楠>
肥後熊本藩士・平氏。肥後随一の天才と言われるも、肥後人特有の資質上(排他的・肥後の引き倒しなど)中々受け入れられず、藩内ではその才能を生かす場を与えられなかった。その後、越前藩の松平春嶽にその才能を見出され、実力を発揮し始める。維新後、政府参与に登用されるが、明治2年十津川郷士の手によって暗殺される。享年61。


なぜ、この小楠を初めに紹介したと思いますか?実は、この人物が明治維新最大の中心人物であるからです。全国的には知名度は相当低いでしょう。それは、歴史が勝者に拠って書き換えられているからです。


松下村塾を作った長州の吉田松陰は全国区で超有名人ですが、この松蔭は小楠の弟子なんです。長州の志士たちは松蔭の弟子達ですから、当然彼らも小楠の孫弟子と言うことになりますよね。薩長同盟を成立させた一番の立役者として有名な坂本龍馬も同様です。


小楠が弟子に説いた「実学」の教え。簡単に言うと、知りえた知識を日頃の生活で実践してこそ正しい学びであるという教えです。松蔭の残した言葉に「知行合一」というものがあります。まさに、小楠の教えを基に残した言葉であると言えますよね。要するに、頭でっかち尻すぼみでは、何の役にも立ちませんよっていう尊い教えであると思います(笑)


龍馬が考えたとされる【船中八策】などは、まさに小楠の案を基に作成されています。具体的になぜ中心人物であるかについては、この人物伝シリーズが落ち着いてから時系列に沿って書いていきますので、それまでお待ち頂ければありがたいですww


小楠が明治維新で果たした役割や成果は果てしなく大きいもので、結果が良かったか、悪かったかについては語りませんが、その影響力と能力は、日本中に轟いていたものと推測できます。


あの勝海舟が「世の中で恐ろしい人物を2人見た。それは西郷隆盛と横井小楠である」と後に語っている辺りにも、それが如実に表れていると感じます。しかしながら、彼は現在ではあまり名を知られていませんし、教科書で取り上げることも少ないですよね。


それには、ある大きな理由があるのです。西郷は一番有名で、小楠は知名度なし。筆者もこの謎の答えを知ったときは、体が震えた感覚を持ったことを今も鮮明に覚えています。


ってことなんで、今日はここまでにしておこうと思うでござんす~~

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