『新説幕末明治維新』

筆者の研究と創作を交えた新説で幕末・維新を書いてみます。新しい<読み物>として捉えて頂ければ幸いです

あくまでも【創作】として書いていきます。たくさんの歴史愛好家さん達と、それぞれの歴史観を共有できるような場所になればいいなと思っています

※※※※※記事に使う画像は、ネット上から無断で使わせて頂こうと思います。宜しくお願いします(ルール上問題ないのかな・・・汗)※※※※※

『幕末人物伝②』

【西郷隆盛】薩摩鹿児島


おはようございます。今日は幕末で最も有名な人物について書いてみようと思います。


<西郷隆盛>
薩摩藩の下級武士で、不遇な時期を乗り越え、幕末維新の大舞台に登場。数々の功績を挙げ、維新後は政府参議、初代陸軍大将を勤め、廃藩置県、帝国陸軍創設などを実施したあと、征韓論に破れ鹿児島に帰郷。弟子の育成を行うため「私学校」を設立。しかし、1877年明治10年、西南戦争を引き起こし鹿児島の城山で自刃。享年49。


西郷隆盛は、幕末から明治維新の時代に於いて、最も人気がある人物としてあまりにも有名ですよね。筆者も好きな人物の一人で、座右の銘も同じ「敬天愛人」を掲げさせてもらっています(笑)


彼のルーツは熊本県の菊池で、豪族菊池一族の流れを汲みます。島流しの期間中、菊池源吾という名前を名乗っています。西郷は源氏です。そして、主君島津斉彬に取り上げられ、隠密(忍者)として、幕末の混乱期に突如頭角を現すことになります。


西郷人気の理由としては、やはり人柄なのではないでしょうか?異様に大柄な体型と大きな瞳。九州男児らしい人情系、そして茶目っ気のある性格。とにかく目立つ存在であったであろうと推測できます。


しかし、いくら人柄が良いと言っても、下級武士が藩を代表して全国の重要人物と交渉をするなんてことが実際あるわけありません。現代で言うなら、田舎の平公務員が、内閣の大臣や県知事辺りと意見交換をしていたということになります。


では、何故か。それは、薩摩の田布施部落にあると推測している「源氏の本家」という後ろ盾があり、その思惑を実行していたのが西郷だからだということになります。もしかしたら、菊池の一族から薩摩へ養子に出され、源氏の英才教育を受けていたのかも知れません。


ネットや新聞、TVなどが無い時代。なぜ全国を一気に動かすような明治維新なんて大革命が速やかに行われたのか。これは世界的に見ても非常に珍しい出来事なのです。


ってことなんで、簡単ではありますが西郷についてはこれで終わるでごわすっ(笑)

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