『新説幕末明治維新』

筆者の研究と創作を交えた新説で幕末・維新を書いてみます。新しい<読み物>として捉えて頂ければ幸いです

あくまでも【創作】として書いていきます。たくさんの歴史愛好家さん達と、それぞれの歴史観を共有できるような場所になればいいなと思っています

※※※※※記事に使う画像は、ネット上から無断で使わせて頂こうと思います。宜しくお願いします(ルール上問題ないのかな・・・汗)※※※※※

【紀尾井坂の変】

【大久保利通暗殺事件】
みなさんこんにちは。今日は明治維新編のラスト。大久保利通暗殺について書いてみます。


<紀尾井坂の変>


明治政府にあって、内務卿(実質上の総理大臣)を務めていた大久保利通が、東京都千代田区紀尾井町に於いて、1878(明治11年)石川県士族及び島根県士族に拠り暗殺された。


大久保利通については、以前の人物伝でも書きましたが、実務に長けた政治家として、非常に高く評価できる人物です。しかし、戊辰戦争から西南戦争までの10年間を客観的に俯瞰してみると、やはり当時は嫌われる存在として受け止められていたのでしょう。


維新後の大久保は、人々の眼には、あたかも革命を成し遂げ権力の座を勝ち取った独裁者であるかのように映ったのかも知れません。TVも新聞もインターネットも無かった時代のことです。そのような誤解や偏見を持たれることも当然あったことでしょう。


盟友である西郷隆盛と決別し、長州田布施側に回ってまで大久保は自らの信念を貫こうと奮闘していたはずです。そして、西南戦争で実質的に西郷を自刃に追い込んだことによる自責の念にも苛まれていたことでしょう。


明治維新には、たくさんの矛盾が存在します。革命と言うものは、破壊するところまでは、比較的労力を伴いません。【破壊のあとの創造これが実はものすごく大変な作業となります。革命以前と以後。必ず多くの矛盾が生じます。その矛盾を抱えながら、また向き合いながら、新しい何かを創造する。これほど労力を伴うものはありません。


様々な意見や考え方があるとは思いますが、筆者の中では、最後の最後まで維新を諦めず、時には自分を殺し、やり遂げようと命を懸けた人物こそ大久保利通その人ではなかったかと考えます。


維新10傑の中で、公家の岩倉を除いては、士族出身者の中で最後に死を迎えました。暗殺されたり、病死したり、刑死したりの違いこそあれ、彼は最後まで政府に残り、己の志を死ぬ寸前まで果たそうと努力を怠りませんでした。


そこだけを見ても、大久保は最大級に評価されるべき政治家でありました。明治維新で、政府や関係者が抱えたとてつもなく大きな矛盾。それを最後まで抱えたまま死んでいった人物であったと言えるのではないでしょうか。


大久保を暗殺した黒幕については・・・・・みなさんのご想像にお任せしたいと思います。


西南戦争終結、そして紀尾井坂の変。これを以て明治維新の第1段階は終了したものであると考えます。以降、日本は自由民権運動帝国議会開設憲法制定と進み、民主国家へと変貌を遂げることとなります。そして、政治の中心は長州田布施に拠って行われていくこととなっていくのです。


民主国家日本・・・・幕末の志士や維新の元勲たちが描いた民主国家像。


現在の日本も表面上は民主国家ではあります。果たして、彼らが描いた明るい予想図通りと
なっているのでしょうか。これを読んで頂いたあなたにはどう映りますか・・・・


多くの生命と引き換えに成し遂げられた明治維新。維新の功罪について語ることは辞めておこうと思います。多くの尊い魂に・・・・・ただただ献杯を捧げたいと思います。


ってことなんで~、明治維新の章はこれにて終了でございます。次回からは現代史について
ボチボチ書いていこうと思うので、良かったら読んで欲しいでごわす~~

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