『新説幕末明治維新』

筆者の研究と創作を交えた新説で幕末・維新を書いてみます。新しい<読み物>として捉えて頂ければ幸いです

あくまでも【創作】として書いていきます。たくさんの歴史愛好家さん達と、それぞれの歴史観を共有できるような場所になればいいなと思っています

※※※※※記事に使う画像は、ネット上から無断で使わせて頂こうと思います。宜しくお願いします(ルール上問題ないのかな・・・汗)※※※※※

『真珠湾攻撃』

【真珠湾攻撃】
みなさんこんにちは。今日は真珠湾攻撃について簡単に書いていこうと思います。


<真珠湾攻撃の罠>


1941年(昭和16年)12月8日。日本はハワイオワフ島の真珠湾(パールハーバー)を空襲。 


宣戦布告が僅かに遅れた点も相まって、卑怯な騙まし討ちであるという評価が未だに定説となっています。この攻撃を境にアメリカ国民の戦意が高騰し、泥沼の太平洋戦争が開始されることとなる。


しかし、長年定説となっていたこの真珠湾攻撃ですが、最近になって全て嘘であるという事実が明らかになりました。まず、日本はアメリカとの国力の差があまりにも大きいことから対米戦争を避けるべく様々な外交手段を採っています。しかし、前回の記事でも書いた通りアメリカは日本を叩くべく、石油を禁輸にするなど交渉に応じる気配はありませんでした。


さらに、日本に対して最後通牒となる【ハルノート】を書いた人物が、実はハル本人ではなく、ルーズベルト大統領の最側近であったハリーホワイトという人物であったこともわかりました。この人物はソ連のコミンテルン(共産主義団体)のスパイでありました。


加えて、ルーズベルト大統領は、4期目であり、不戦を政治公約に掲げていました。戦争を自ら仕掛けることは、公約違反となり国民から批判される状況にあったということです。


そこで、ルーズベルト大統領は、日本側から先制攻撃を行わせる策を練ったわけです。日本側が先に戦争を仕掛けたとなれば、報復攻撃を行う大義名分>ができることになります。ですから、石油を止めて、交渉は無視。日本側の石油備蓄がある内に自ら攻撃を仕掛けてくるよう罠を張ったということになります。


だから当然、大統領は真珠湾攻撃について事前に承知していたことになりますよね。空襲である程度被害が出ることも想定内だったということです。寧ろ、自国民の犠牲が出て欲しいと考えていたということになります(報復のきっかけが欲しかったから)


この手法は、戦後も現在に至るまでアメリカの常套手段となっています。自分はやりたくなかったのですが、向こうから仕掛けてきたので、しかたなく倍返しにしてやりましたどこかで聞いたことあるなw)的なやり方です。


昭和天皇東条英機首相も、ギリギリまで戦争を回避する道を模索しています。しかしながら、当時の世論や軍部がそれを許さなかった。致し方なく開戦を選ぶと東条英機は述べています。(YOUTUBEで肉声を聞くことができます)


東条英機元首相は、戦争の総責任者として未だに正しい評価を受けずにいますが、彼ほど日本を正しい方向へ導こうと最後まで努力をした人物は居ないのではないかと考えています。


アメリカは、公式文書を60年間封印する国です。太平洋戦争が終結し、GHQが報告書を提出した1952年(昭和27年)から60年後の2012年ごろから続々と公式文書が公開されるようになり、当時の真実が次々に明らかになり始めます。


ケネディ大統領暗殺の秘密は、2023年頃から徐々に明らかになってくるはずですww
(これがまた凄く興味深い話になっていますよ)


ってことなんで~、少しずつ皆さんのイメージもかわりつつあるんじゃないでしょうか。
次回は、ミッドウェー海戦などについて書いていこうかと考えているんじゃけどっ

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