『新説幕末明治維新』

筆者の研究と創作を交えた新説で幕末・維新を書いてみます。新しい<読み物>として捉えて頂ければ幸いです

あくまでも【創作】として書いていきます。たくさんの歴史愛好家さん達と、それぞれの歴史観を共有できるような場所になればいいなと思っています

※※※※※記事に使う画像は、ネット上から無断で使わせて頂こうと思います。宜しくお願いします(ルール上問題ないのかな・・・汗)※※※※※

『終戦とポツダム宣言受諾』

【終戦とポツダム宣言】


みなさんこんにちは。今回と次回で、このシリーズは終了となりそうです(笑)何卒最後までよろしくお願い致します。


<終戦と敗戦について>
昭和20年8月15日。日本はポツダム宣言を受諾。9月2日、戦艦ミズーリ号上に於いて、重光外務相が降伏文書調印。日本は敗戦国となる。教科書などで教えられる事実です。


これから書くことは、恐らくほとんどの方が初めて知る内容だと思います。筆者の感覚で感じたことをそのままに書きます。(これまでもそうでしたけどww)


ポツダム宣言を和訳したものを以前読みました。書いてあった内容を簡単に説明します。


日本帝国陸軍・海軍の無条件降伏と武装解除
②戦争犯罪人の処罰
③カイロ宣言の履行


大事なところは①です。軍の降伏を求めていますよね。戦争の定義はなんですか?軍と軍の争いですか?違いますよね(笑)国家と国家の争いであり、軍はその手段です。日本国の降伏は求められていませんし、日本側もそれには応じていません。したがって、敗戦ではなく終戦であるのです。


もう一度言います。日本は終戦をしたのであり、決して敗戦はしていないと言う事です。


前にイギリスと日本は日英同盟を結んでいたと書きましたね。一度は解消していますが、一度条約を結んだ国同士、絆は切れていなかったという判断をすることができます。


大東亜戦争開戦時、日本はドイツ・イタリアと三国同盟を締結しており、イギリスとは敵対関係にありました。しかし、筆者の推測ではソ連とアメリカに世界を蹂躙されては困ると考えたイギリスが、言わばスパイ的目的を持って連合国側についていたのだと思われます。


イギリスが使う英語はポルトガル語由来であり、アメリカが使う英語とはスペルから文法まで大きく異なります。恐らく、ポツダム宣言の原文を起草したのは、イギリスのウインストン・チャーチル首相でしょう。アメリカに気づかれないように細工を施した原文を作り、日本側が不利にならないよう工作をしてくれています。


イギリスと日本は明治維新の頃から絶対的な信頼関係を構築していたと考えられます。イギリス大使館は、皇居の真北の位置に存在します。信頼関係の確たる証だと言えますね。


また日本の皇室は、イギリス王室よりも位が遥かに上位であると先日記事に書きました。そういうことですww日本の皇室を守るため、表面上連合国側についていたということです。


加えて日本には、有事の際に天皇と国民を守る組織があることも説明しましたよね。その組織と英国王室がしっかりと連携をしていたのだと判断することができるでしょう。


そして、いよいよ次回がクライマックスとなります。戦後、GHQと対峙した吉田茂首相と白州次郎がマッカーサーとの間に結んだ密約が存在します。筆者もこのことに気がついた時は涙が溢れるほど感動したのを未だに覚えています。


ってことなんで~、いよいよ次回が最終回となりそうです。お楽しみにっ(笑)

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