『新説幕末明治維新』

筆者の研究と創作を交えた新説で幕末・維新を書いてみます。新しい<読み物>として捉えて頂ければ幸いです

あくまでも【創作】として書いていきます。たくさんの歴史愛好家さん達と、それぞれの歴史観を共有できるような場所になればいいなと思っています

※※※※※記事に使う画像は、ネット上から無断で使わせて頂こうと思います。宜しくお願いします(ルール上問題ないのかな・・・汗)※※※※※

『ペリー来航と尊皇攘夷①』

【ペリー来航とその背景①】


ペリーが黒船を率いて浦賀沖に来航したのが、1853年(嘉永6年)のことです。諸説ありますが、筆者はこのペリー来航から大政奉還が行われた、1867年(慶応3年)までを、所謂【幕末】と位置づけて考えています。


日本は、江戸時代の期間中、基本的には鎖国政策を採ってきていましたよね。しかし、長崎を始めとして一定の情報源は確保しており、近隣諸国の情勢には常にアンテナを張っていました。特に隣国である清が、イギリスとの間に起こった【アヘン戦争】に大敗し、植民地の扱いを受けた衝撃は相当大きかったと思われます。


戦争終結後に締結された【南京条約】の内容は、不平等条約であり、とても条約とは言いがたいものだったそうです。ペリーが来航する以前から、日本には外国船が度々来航しており、決してペリーだけが特別ではなかったのですが、一番有名だから教科書で取り上げたのでしょうね(笑)


外国船の来航目的は、主に捕鯨船(クジラ漁船)の修理や補給など。現在は日本の捕鯨が世界中から批判されまくっているのですが、実は当時、多くの外国が捕鯨を行っていたのです。


理由は、クジラから採取できる【油】当時の燃料の主力がクジラ油だったからです。
日本の捕鯨目的は食料としてのもの。冷凍技術がない時代ですから、必要な量を計画的に捕獲していたと考えられます。


しかし、外国船の捕獲目的はほとんどが燃料。油以外には興味がないため乱獲を行っていたようです。アメリカやイギリスから日本近海まで来て操業している訳ですから、当然食料としては保存ができないことはすぐに理解できますよね。


そこで諸外国は、アジアに拠点(植民地)を構築すれば、安定的に油を獲得できると考えたのです。そのため、武力を背景にしてアジア地域に植民地を獲得する競争を始めたということになります。今も昔も燃料利権ってのはとにかく恐ろしいものですね(T T)/


アメリカという国の成り立ちを考えれば、誰でもすぐに理解できるはずです。イギリスを追われた人々が、安住の地を探して西回りでたどり着いた土地。コロンブスが初めてアメリカ大陸を発見したと教科書では教えられます。しかし、当時その地にはネイティブアメリカンと呼ばれるインディアンがずっと昔から生活をしていたのです。


そのインディアンを、武力を背景にしてカナダの奥地に追い出し、自分たちがそこに居座ったわけです。完全な侵略ですよね。アメリカ国旗の星印は、自分たちが征服した土地の数だそうです(汗)そして、自由の国アメリカだってさ。アホちゃうか~


ここら辺りの話は、第二次世界大戦の章でも詳しく説明しますので今日はこの位にしておこうと思います(笑)


とにかく、この時代は、外国とどのように渡り合っていくかが最重要課題となっていて、日本国内の平和だけを考えていれば良かった頃とは情勢が大きく変化していたのです。


ってことなんで、次も同じテーマで少しだけ背景を深堀してみるでござんす(笑)

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