『幕末人物伝⑥』
【中岡慎太郎】土佐高知
引き続き、龍馬の盟友中岡慎太郎について書いていこうと思います。
<中岡慎太郎>
龍馬と同じ、土佐の下級郷士。土佐勤皇党に在籍していた時期もある。8月18日の政変後、板垣退助らと交流を持つ。尊皇攘夷の志を立て、陸援隊を組織。その後、公家の岩倉具視配下に入り、倒幕を目指すも龍馬と同じ近江屋に於いて暗殺され死去。享年29。
中岡は、写真を見てもはっきりわかるように、相当意思が強い、侍気質の人物であったと推測しています。龍馬とは性格的には真逆であったろうと想像していて、丁度、薩摩の西郷と大久保の関係に似ている感じがする二人です(笑)
長州の久坂玄端とも親しく、脱藩後は主に長州と交流を深めていた形跡が伺えます。中岡は平氏ですので、それも当然頷けます。また、龍馬とは異なり武闘派ですので、島津久光の暗殺を謀ったり禁門の変に参加するなど、若干テロリスト的な面も有していました。
完全な倒幕派であり、陸援隊を組織して長州派閥と連携、岩倉具視の腹心的な存在となります。この辺りが、龍馬との縁に亀裂が生じ始めた時期であると言えるでしょう。龍馬はこの時期、完全に開国派に転じており、武力による倒幕や攘夷からは完全に考えを転換していた頃になります。
龍馬が暗殺される少し前、中岡は岩倉宅付近に陸援隊を数百名待機させており、倒幕の狼煙が上がるのを待っていました。当然岩倉の指示でしょう。その状況で、龍馬が建白したと言われている大政奉還が現実のものとなったのです。
大政奉還がすんなり進んでしまえば、倒幕派としては大儀名分を失うことになります。ですから、岩倉は中岡に命じて龍馬を斬らせようと画策したわけです。断れば、その場で中岡が消されていたでしょう。勿論、陸援隊もろとも。
隊の代表として、中岡も苦渋の決断をしたのではないでしょうか(涙)若しくは、自らの志を貫くため、断固として決意したのかも知れません。龍馬最後の日、中岡は最後まで龍馬を倒幕派に寝返らせようと、努力して説得を重ねたと思われます。しかし、結果的にそれは叶わず、不本意ながら龍馬を斬らざるを得なかった・・・そんな気がしています。
ってことなんで、悲しい悲しい盟友同士のすれ違いって話でした(T T)//