『2.26事件』
【2.26事件】
みなさんこんにちは。今日は2.26事件について簡単に説明してみようと思います。
<2.26事件>
1936年(昭和11年)2月26日。陸軍の青年将校が起こした軍事クーデター。首相官邸・朝日新聞社・陸軍省・警視庁などを襲撃。大蔵大臣の高橋是清や教育総監の渡辺錠太郎ら9名を殺害。この事件を契機に岡田内閣は総辞職することとなります。
当時の陸軍内部は、2大派閥「皇道派」と「統制派」に分かれており、皇道派に拠って引き起こされた事件となります。皇道派はどちらかと言うと武闘派であり、統制派は文官派と表現することができます。統制派には、東条英機や石原莞爾など、陸軍の主要幹部が顔を揃えています。
クーデターが起こった背景としては、5.15事件の時と同様、農村の困窮や経済格差などがありました。東京など都会だけが豊かになり、農村などの地方は経済的に困窮を極めていた時期で、娘を売るといった悪しき歴史も残っています。そのような現状下、政府や経済政策を策定する大蔵省への不満が高まっていたと言えます。
しかし、高橋是清を殺害した点については、筆者は疑問を覚えます。高橋是清は日露戦争の時に多額の外債を集め、戦役の勝利に大きく貢献し、大蔵大臣を何度も務め、総理大臣にも就任していた時期もあるほど相当優秀な政治家でありました。
対米戦争が現実味を帯びつつあったこの時期に、彼を失った政府の損失は計り知れないものがあったと言えるでしょう。
なんとなく、明治初年の頃と雰囲気が似ていると感じませんか?不平士族が政府への不満を武力で解決しようと蜂起した頃のそれと非常に酷似しているよう思えてきます。
クーデター後、東京には戒厳令が敷かれ、昭和天皇に拠り解散命令が発せらた3日後に鎮圧。首謀者は処刑されることになります。5.15事件の際も感じましたが、決して暴力で解決することが正しいとは思いませんが、この時代、彼ら青年将校の気持ちを考えると、胸が熱くなるのを抑えることができません。
決して私利私欲ではなく、国家や故郷の家族・友人を想っての決起だったはずです。自らの命を賭した決死の訴えであったわけです。果たして、今の若者にそんな行動ができるでしょうか・・・・・あなたが同じ立場であったら、どう感じ、どう動きますか?
っていうことなんで~、次回からはいよいよ大東亜戦争に突入するでありますっ