『太平洋戦争の本質②』
【太平洋戦争の本質②】
みなさんこんにちは。引き続きその②について書いていこうと思います。
<日本側からみた側面>
また、終戦間際の日本海軍軍令部も思考を停止していたと考えられます。本土決戦に備え、本来であれば【陸軍】を本土に残すべきところ、硫黄島守備を始めとする南方戦線では、ほとんど陸軍の精鋭を送り玉砕させています。軍令部は海軍の最高意思決定機関です。
身内を危険なところに行かせたくなかったという理由でしょう。然し、特攻作戦など、若い青年達を無駄に死なせるようなことも平気で行っています。要するに、軸がバラバラで筋が通っていない組織になってしまっていたのです。
しかも、筆者の推測が正しければ【アメリカにとっての本土決戦】は存在しなかったのです。
もしそうであれば、沖縄には【特攻】ではなく【全戦力】を投入すべきであったはずです。それを実施していれば、もしかしたら勝利していたかも知れません。また、軍令部総長にしろ海軍大臣にしろ、現役を離れた予備役軍人であった点も見逃せません。現場感覚がズレまくっていた人物に拠って作戦命令が下されていたわけです。
更に言えば、海軍は本土決戦すらするつもりはなかったのかも知れない。だから、沖縄が陥落し、原爆が落とされた時点で速やかに降伏に応じた。だって、海軍ですから。【陸に上がったカッパ】に陸上戦が理解できるはずはない。海軍大臣米内光政とアメリカ軍との間で密かに終戦工作が諮られた形跡も資料では窺い知ることができます。
戦艦大和で特攻戦死をされた作戦参謀である臼淵磐さんの言葉が残っています・・・
【進歩のない者は決して勝たない。敗れて目覚める事が日本にとって最上の道である】
帝国海軍は日本海海戦で成長を止めてしまっていたのでしょう。一般の兵卒や国民は、思考を停止した軍上層部に拠って捨て石にされてしまったということになります。無責任にもほどがあると感じませんか?陸軍大臣阿南惟幾が自刃する前に「海軍大臣米内を斬れ」と言い残していたところにもそれが表れていると感じられます。
因みに阿南陸軍大臣は8月15日自刃されていますが、米内光政海軍大臣は東京裁判にもかけられず、戦後まで生き残っています。アメリカ軍と司法取引をしたのだと判断できます。
ってことなんで~、あくまでも筆者の独断と偏見により書きました^^今日はここまで。