『新説幕末明治維新』

筆者の研究と創作を交えた新説で幕末・維新を書いてみます。新しい<読み物>として捉えて頂ければ幸いです

あくまでも【創作】として書いていきます。たくさんの歴史愛好家さん達と、それぞれの歴史観を共有できるような場所になればいいなと思っています

※※※※※記事に使う画像は、ネット上から無断で使わせて頂こうと思います。宜しくお願いします(ルール上問題ないのかな・・・汗)※※※※※

『日露戦争』

【日露戦役】
みなさんこんにちは。今日は日露戦争について、簡単に説明をしていくことにします。


<日露戦争>


日清戦争開戦の10年後、1904年(明治37年)から1905年にかけ、日本とロシア帝国の間で起こった戦争。朝鮮半島と満州の権益を巡る戦いで、主な戦場は満州南部と遼東半島。旅順の激闘日本海海戦を経て、日本側の勝利で終結。ポーツマス条約を締結する。


朝鮮半島の権益獲得と樺太の南半分、大連と旅順港の租借権を得るも、賠償金が獲得できず、国民からは不満の声が高かった。


前回の日清戦争でもそうでしたが、ロシア帝国の南下を防止すること。そのために朝鮮半島を死守する必要性が最重要課題であった日本。その動きに対し、警戒感を強く持ったロシアと日本が対立を深めます。しかも、日本は1902年にイギリスとの間で日英同盟を締結しています。


イギリスと同盟を結んだことは、大国であるロシアを大いに刺激したようです。清を侵略していたイギリス。ロシアから朝鮮半島以南に進出するには、どうしても清を経由しなければなりません。そこへ、開国したばかりの小国日本が加勢をする形となったわけです。


加えて、戦費調達を担った大蔵大臣、高橋是清が世界中からものすごい金額を集めることに成功します。それだけ、ロシアは諸外国から嫌われていたと言うことでしょう。


ロシアとしては、日本が邪魔で仕方がなかったと考えることができます。そして、皇帝二コライ二世は簡単に勝利が出来ると踏んでいたと思われます。しかし、日本は203高地で数万人の戦死者を出すなど、相当な犠牲を払いますが、乃木希典から指揮を引き継いだ児玉源太郎の戦略に拠り高地を攻略。最重要拠点である旅順港を勝ち取ります。


続く日本海海戦に於いて、東郷平八郎の指揮する帝国海軍が、世界最強の呼び声高いバルチック艦隊を攻略し、講和へと繋げることになります。


筆者が一番印象に残るエピソードとしては、水師営の会見です。武士道と騎士道とがお互いを尊重。見事な会見となり、諸外国のメディアを通じて世界中に報道されました。乃木将軍を世界的に有名にしたエピソードとなります。


この戦争で、日本は辛うじて超大国であるロシアに勝利を収め、ますます国際社会においてその存在感を高めることになっていくのですが、実質的には引き分けに近い勝利であったため、ロシアは日本に対する恨みの感情を強く残すことになります。


後の第二次世界大戦の際、日本とロシア(当時ソ連)とは、お互いに不可侵条約を締結していましたが、日本が敗戦する寸前、突如条約を破棄し北海道に進出。戦勝国となり、北方領土を強奪するという行為にでます。


ロシアが北方領土を何故強奪し、今なお返還しないのか。それは地図を見れば簡単です。ロシアが太平洋に出るには、ぐるっと日本を迂回する必要があったからです。北方領土を自国の領土とすることで、彼らはすんなりと太平洋へ進出することが可能になりました。


明治維新後、日本がアジアを侵略し続けたと教科書で教えられましたが、そろそろみなさんその嘘に気がついてこられたのではないでしょうか・・・・・


ちなみに、征露丸ってお腹の薬は日露戦争に出征された兵隊さんが使っていました(笑)


ってことなんで~、ものすごく簡単ではありますが今日はここらでおしまいっ(笑)

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