『新説幕末明治維新』

筆者の研究と創作を交えた新説で幕末・維新を書いてみます。新しい<読み物>として捉えて頂ければ幸いです

あくまでも【創作】として書いていきます。たくさんの歴史愛好家さん達と、それぞれの歴史観を共有できるような場所になればいいなと思っています

※※※※※記事に使う画像は、ネット上から無断で使わせて頂こうと思います。宜しくお願いします(ルール上問題ないのかな・・・汗)※※※※※

『幕末人物伝⑤』

【坂本龍馬】土佐高知

みなさんおはようございます。今日は、幕末の英雄として人気の坂本龍馬について。


<坂本龍馬>
土佐藩の下級郷士。二度の脱藩を経て、日本で初のカンパニーとなる亀山社中を設立。一時は土佐勤皇党に在籍し、尊皇攘夷を志すも、様々な人物と交流を重ねる中で方向を転換。開国し、外国との貿易や海運業を志すようになり海援隊を結成。また、薩長同盟の仲介を勤め、土佐藩に大政奉還の建白をするなど、維新に多大な影響を与えるも、維新前夜の1867年慶応3年、暗殺され死去。享年33。


坂本龍馬については、現在も多くのファンが存在し、幕末史に於いて最も人気のある人物として有名ですね。歴史小説家である、司馬遼太郎氏の影響が多分にあるようです。多くの学者や教師もそれに倣っている印象を強く持ちます。


しかし、筆者は全く異なる見識を持っていますので、ファンの方には相当嫌われるという恐怖を感じつつ、記事を書いてみようと思います(* *)/


まず、龍馬は源氏です。そして、盟友である中岡慎太郎は平氏。尊皇攘夷の志を転換したきっかけは、勝海舟(源氏)に紹介された横井小楠に出会った後であると考えます。吉田松陰横井小楠の弟子になったことで考えを変換しているようですし、とにかく小楠の影響力は相当なものであったと思われます。


そして、龍馬のバックについていたのは、アーネストサトウトーマスグラバーです。アーネストサトウはイエズス会のエージェントであり、グラバーは武器商人です。覚えていますよね、織田信長の時と状況は全く同じです。禁断の果実に手を出した人物や団体の末路については、以前の記事で書いた通り。龍馬も同じ道を辿ります。


しかも、暗殺を実行した人物は、見回り組みでも、新撰組でもなく、盟友であった中岡慎太郎です。中岡慎太郎のバックには、倒幕派の公家、岩倉具視がいました。岩倉に命じられ、自らの志を果たすため、龍馬を斬りました。そして、中岡自身も口封じのため龍馬の死を確認しにきた見回り組みにより、その命を奪われてしまいます。


いつもの様に、何が正しく誤りであるのか、などの個人的主観は書きません。それぞれが、己の志を果たすため、自分の判断で動いていた時代の話だからです。


歴史の評価なんて、将来、誰かが勝手に行うものです。


筆者が考える坂本龍馬。一言で言えば<便利屋の営業員>です。尊皇攘夷派、倒幕派、武器商人、開国派、などなど多種多様の考えや思惑が錯綜していた幕末期に於いて、脱藩浪人という立場を巧みに利用し、情報やお金を運んだり、話し合いを調整したりしていたものと思われます。従って、教科書で教えられるような人物では決してなかったと思います。


元々、才谷屋という商家に生まれた龍馬。暗殺や倒幕など物騒なことよりも、単純に商売がしたかったのではないでしょうか?恐らくそうでしょう。だから、商才を活かそうとしている中で、様々な思惑に翻弄されてしまった人物だと判断します。交渉能力に長け、営業力も優れていたはずです。人柄も良かったのではないでしょうか。


龍馬の死により一番得をした者。それは、後の三菱創業者、岩崎弥太郎であり、土佐藩家老、後藤象二郎です。岩崎弥太郎が設立した三菱は、海援隊を引き継ぎ、土佐藩のバックアップを得て成長。維新後から第二次世界大戦に至るまで、日本の軍需産業と海運業を政府公認の下、一手に引き受けることで、三井、住友に並ぶ三大財閥にまで成長を遂げています。


ってことなんで、次は盟友中岡慎太郎について書いてみる、ぜよっ

×

非ログインユーザーとして返信する