『新説幕末明治維新』

筆者の研究と創作を交えた新説で幕末・維新を書いてみます。新しい<読み物>として捉えて頂ければ幸いです

あくまでも【創作】として書いていきます。たくさんの歴史愛好家さん達と、それぞれの歴史観を共有できるような場所になればいいなと思っています

※※※※※記事に使う画像は、ネット上から無断で使わせて頂こうと思います。宜しくお願いします(ルール上問題ないのかな・・・汗)※※※※※

『太平洋戦争の本質②』

【太平洋戦争の本質②】


みなさんこんにちは。引き続きその②について書いていこうと思います。


<日本側からみた側面>


また、終戦間際の日本海軍軍令部も思考を停止していたと考えられます。本土決戦に備え、本来であれば【陸軍】を本土に残すべきところ、硫黄島守備を始めとする南方戦線では、ほとんど陸軍の精鋭を送り玉砕させています。軍令部は海軍の最高意思決定機関です。


身内を危険なところに行かせたくなかったという理由でしょう。然し、特攻作戦など、若い青年達を無駄に死なせるようなことも平気で行っています。要するに、軸がバラバラで筋が通っていない組織になってしまっていたのです。


しかも、筆者の推測が正しければ【アメリカにとっての本土決戦】は存在しなかったのです。


もしそうであれば、沖縄には【特攻】ではなく【全戦力】を投入すべきであったはずです。それを実施していれば、もしかしたら勝利していたかも知れません。また、軍令部総長にしろ海軍大臣にしろ、現役を離れた予備役軍人であった点も見逃せません。現場感覚がズレまくっていた人物に拠って作戦命令が下されていたわけです。


更に言えば、海軍は本土決戦すらするつもりはなかったのかも知れない。だから、沖縄が陥落し、原爆が落とされた時点で速やかに降伏に応じた。だって、海軍ですから。【陸に上がったカッパ】に陸上戦が理解できるはずはない。海軍大臣米内光政とアメリカ軍との間で密かに終戦工作が諮られた形跡も資料では窺い知ることができます。


戦艦大和で特攻戦死をされた作戦参謀である臼淵磐さんの言葉が残っています・・・


【進歩のない者は決して勝たない。敗れて目覚める事が日本にとって最上の道である】


帝国海軍は日本海海戦で成長を止めてしまっていたのでしょう。一般の兵卒や国民は、思考を停止した軍上層部に拠って捨て石にされてしまったということになります。無責任にもほどがあると感じませんか?陸軍大臣阿南惟幾が自刃する前に「海軍大臣米内を斬れ」と言い残していたところにもそれが表れていると感じられます。


因みに阿南陸軍大臣は8月15日自刃されていますが、米内光政海軍大臣は東京裁判にもかけられず、戦後まで生き残っています。アメリカ軍と司法取引をしたのだと判断できます。


ってことなんで~、あくまでも筆者の独断と偏見により書きました^^今日はここまで。

『太平洋戦争の本質①』

【太平洋戦争の本質①】


みなさんこんにちは。今日は太平洋戦争の本質について2回に分けて説明をして行きたいと思っています。どうぞよろしくお願い致します。


<アメリカの作戦目的>


アメリカは、日本を攻める以前に、ハワイを侵略太平洋の戦略基地を作りました。その後、グアムサイパンフィリピンテニアンなど少しづつ日本に向かう『布石』を置いています。


日本を攻めた一番の目的は【沖縄】です。本土決戦をするつもりは初めから無かったと思われます。日本軍と正面から戦って勝てる見込みがなかったからです。硫黄島を奪守し、サイパンからB-29を飛ばし、空襲を繰り返すことしか策がなかったのです。


そして、原爆を投下し、恐怖を植え付け降伏を迫った。空襲にしろ、原爆投下にしろ、一般国民への無差別攻撃は、国際法で一切禁止されている行為です。なぜアメリカはその罪を償わないのですか?それは勝利国だからです。勝てば官軍ってやつですよね(怒)


沖縄が欲しかった理由。それは、その後のアメリカの戦史を見れば簡単に答えが出ます。


まずは、日本が作った満州。これは中国大陸の北部。続く朝鮮戦争は、中国大陸の東部。
ベトナム戦争は、中国大陸の南部。イランやイラクなどの中東は、中国大陸の西部に当たります。全て中国の入り口です。そして、太平洋側から中国を侵略する場合の最も重要な部分に【沖縄】があるのです。


だから、日本は満州を建国し東南アジア諸国を開放するために勇気を出して戦ったのです。言わば、中国をも守ろうとしていた。それが、ソ連·アメリカにとってはウザかったのでしょう。様々な策を練り日本を袋叩きにしました。そして中国も日本の想いに気が付かず、自国を狙っているアメリカに助けを求めた。(蒋介石がもう少し優秀であれば・・・)


そして、在日米軍基地の位置関係を見てください。ほぼ太平洋側に存在しています。日本を本当に守るつもりであれば、日本海側に置くべきでしょう。自分たちはいつでも逃げ帰ることができる位置に置いています(笑)


在日米軍基地が如何に不要であるかが理解できるでしょう。そして、沖縄にはこれでもかと言うほど基地が存在しています。一番危険な部隊である黒人が主力の【海兵隊】が最前線に配置されています。アメリカの黒人差別意識はいまだに根深く残っているということかも知れません。


一体誰のために存在しているのでしょうね。もうみなさんには理解できるでしょう。アメリカ本来の仮想敵国であるロシアからは一番遠く中国に一番近い位置に多くの基地があるという【意味】について


従って、アメリカ側から見た太平洋戦争の本当の作戦目的は【中国利権を獲得するための戦略拠点として】沖縄が必要だったから、ということになります。白人至上主義ってやつですね。


ですから、日本国民及び沖縄県民は、米軍基地について真剣に考えなければなりません。沖縄は決して観光地ではないのです。基地に依存している人たちも、お金だけではなく、もっと歴史に関心を持ちましょう。基地に依存せず、独自の産業を生み出すなど、知恵を出して別の収入源を模索してみませんか?


ってことなんで~、引き続きその②を書いていくことにしますっ(笑)

『ミッドウエー海戦』

【ミッドウエー海戦】


みなさんこんにちは。今日はミッドウエー海戦について簡単に説明をしていきます。


<ミッドウエー海戦>
1942年(昭和17年)6月5日~7日にかけ、太平洋上のミッドウエー島という小さな島を巡って海戦が行われ、日本側の大敗で終結。事実上、日本の敗戦を決定付けた戦いとなります。


日本海軍は、赤城・加賀・蒼龍・飛龍の4空母と300機の航空機及び、熟練の搭乗員を多数喪失。飛龍を率いる山口多聞が孤軍奮闘の活躍を見せますが、南雲忠一率いる機動部隊はほぼ壊滅するという大きな損失を被ります。


敗因としては、アメリカによる暗号解読とレーダー技術の差であると言われています。アメリカは開戦前から日本側の暗号を全て解読できていたようです。従って、昨日も書いた通り、真珠湾への攻撃も事前に把握できていたということですね。


また、当時の軍部は、兵学校に於ける卒業席次順で階級が定まっており、現在で言う学歴先行主義であったため、頭でっかちな作戦立案が主流となっていたのも理由の一つであったと言えるでしょう。


この大敗により、日本側は太平洋に於ける制海権と制空権をアメリカに奪われることとなり、以後の作戦は、防戦一方となってしまいます。


その後、ガダルカナル島(餓島)への上陸を始めとする、ソロモン諸島での消耗戦を展開し、各部隊は玉砕の悲劇を繰り返すことになっていくのです。


ってことなんで~、今日はここら辺りにしておこうかと思います。それではっ!

『真珠湾攻撃』

【真珠湾攻撃】
みなさんこんにちは。今日は真珠湾攻撃について簡単に書いていこうと思います。


<真珠湾攻撃の罠>


1941年(昭和16年)12月8日。日本はハワイオワフ島の真珠湾(パールハーバー)を空襲。 


宣戦布告が僅かに遅れた点も相まって、卑怯な騙まし討ちであるという評価が未だに定説となっています。この攻撃を境にアメリカ国民の戦意が高騰し、泥沼の太平洋戦争が開始されることとなる。


しかし、長年定説となっていたこの真珠湾攻撃ですが、最近になって全て嘘であるという事実が明らかになりました。まず、日本はアメリカとの国力の差があまりにも大きいことから対米戦争を避けるべく様々な外交手段を採っています。しかし、前回の記事でも書いた通りアメリカは日本を叩くべく、石油を禁輸にするなど交渉に応じる気配はありませんでした。


さらに、日本に対して最後通牒となる【ハルノート】を書いた人物が、実はハル本人ではなく、ルーズベルト大統領の最側近であったハリーホワイトという人物であったこともわかりました。この人物はソ連のコミンテルン(共産主義団体)のスパイでありました。


加えて、ルーズベルト大統領は、4期目であり、不戦を政治公約に掲げていました。戦争を自ら仕掛けることは、公約違反となり国民から批判される状況にあったということです。


そこで、ルーズベルト大統領は、日本側から先制攻撃を行わせる策を練ったわけです。日本側が先に戦争を仕掛けたとなれば、報復攻撃を行う大義名分>ができることになります。ですから、石油を止めて、交渉は無視。日本側の石油備蓄がある内に自ら攻撃を仕掛けてくるよう罠を張ったということになります。


だから当然、大統領は真珠湾攻撃について事前に承知していたことになりますよね。空襲である程度被害が出ることも想定内だったということです。寧ろ、自国民の犠牲が出て欲しいと考えていたということになります(報復のきっかけが欲しかったから)


この手法は、戦後も現在に至るまでアメリカの常套手段となっています。自分はやりたくなかったのですが、向こうから仕掛けてきたので、しかたなく倍返しにしてやりましたどこかで聞いたことあるなw)的なやり方です。


昭和天皇東条英機首相も、ギリギリまで戦争を回避する道を模索しています。しかしながら、当時の世論や軍部がそれを許さなかった。致し方なく開戦を選ぶと東条英機は述べています。(YOUTUBEで肉声を聞くことができます)


東条英機元首相は、戦争の総責任者として未だに正しい評価を受けずにいますが、彼ほど日本を正しい方向へ導こうと最後まで努力をした人物は居ないのではないかと考えています。


アメリカは、公式文書を60年間封印する国です。太平洋戦争が終結し、GHQが報告書を提出した1952年(昭和27年)から60年後の2012年ごろから続々と公式文書が公開されるようになり、当時の真実が次々に明らかになり始めます。


ケネディ大統領暗殺の秘密は、2023年頃から徐々に明らかになってくるはずですww
(これがまた凄く興味深い話になっていますよ)


ってことなんで~、少しずつ皆さんのイメージもかわりつつあるんじゃないでしょうか。
次回は、ミッドウェー海戦などについて書いていこうかと考えているんじゃけどっ

『ABCD包囲網』

【ABCD資源輸出規制】


みなさんこんにちは。今日はABCD包囲網について簡単に説明をしてみようと思います。


<資源輸出規制>


A(アメリカ)・B(イギリス)・C(中国)・D(オランダ)に因る石油の輸出規制の事を指す。画像を見るとはっきりわかると思いますが、完全に日本を孤立させる政策です。


次の記事で書く予定ですが、日本は真珠湾攻撃によりアメリカとの開戦に至ったと教科書で教えられます。しかし、石油資源がない日本にとって、石油の輸入を止められるという状況は、国際法上諸外国から戦布告を受けた状態であると言えます。


ですから、戦争を始めた責任は正式にはアメリカ側にあるのです。戦後の東京裁判で、開戦の責任は全て日本側に押し付けられました。では、なぜこのような包囲網を敷かれてしまったのか。それは、満州国の建国と国際連盟脱退が大きな理由と言えます。加えて、最大の理由は金本位制の継続を断固として譲らなかった点が挙げられます。


これもあとの記事で書くつもりですが、アメリカはソ連(ロシア)と中国の利権を巡って冷戦を始めていた時期でした。それはソ連側から見ても同じです。要するに、資源が豊富で、かつ広大な領土を持つ中国を巡る利権争いを両国が行っていたわけです。


そこへ、民族差別撤廃とアジア共栄圏を唱える日本が割って入ってきたという訳です。それはそれは邪魔だったことでしょう。中国がそのことを理解をする能力を備えていたら、連携して白人支配と戦うことができていたはずです。しかし残念ながらそうではなかった・・


植民地政策を採用していた国々からしてみれば、正論でぶつかってくる日本が、とにかく邪魔であったことはすぐに理解できると思います。その日本を叩くには、資源(ガソリン)を止めてしまえば良い。という理由です。


全く背景は異なりますが、現在北朝鮮が核兵器製造の罪で国際社会から孤立し、経済制裁を受けている状態と酷似しています。恐らく国民は、食料を始め、生活必需品すら不足して生活が困窮している状態でしょう。


一体、人類は何度同じ事を繰り返せば気がつくのでしょうか・・・戦争で、そして暴力で世界を平和に導くことは絶対に不可能です。助け合い、分かち合い、理解しあうことでしかそれは実現できないことに一日も早く気がつくことしかないのではないでしょうか・・・


ってことなんで~、次回から具体的な内容について触れていくことにしまうまっ(笑)