『豊臣秀吉』
【平家の忍 秀吉】
みなさん、こんにちは。前回の記事で織田信長を取り上げましたが、今回は天下人となった豊臣秀吉について触れてみようと思います。
秀吉は、百姓から大出世をして天下人に成り上がった【奇跡の人】的なキャラクターで、努力をすれば成功できる存在の代表格として、今も人気の武将ですよね。
しかし、実際の秀吉は平家の英才教育を受けた忍(忍者)だと考えています。そして、明智光秀に本能寺の変を実行させた、言わば黒幕的な存在です。信長にある程度天下を狙える所まで頑張らせ、最後、美味しい所だけ独り占めしようと暗躍していたようですね。
しかし、昨日も書きましたが、実際の黒幕は源氏の本家ですから、忍の性質を上手く利用されてしまった感じがします。(策士策に溺れる的なイメージです)
源氏としては、源氏による天下統一が目的だったので、信長でも良かったわけです。でもそこで、イエズス会を日本に入れてしまったため、同じ源氏である光秀に、秀吉を使って暗殺をさせました。
一時天下を獲ったように思えた秀吉。すぐにキリスト教を禁教にしています。信長が抹殺された理由を十分知っていたからです。しかし、残念ながら平氏。源氏の本家から家康に交代させられてしまいます。
九州を始め、西日本には【平家の落人】と呼ばれる人たちの子孫が多く生活しています。筆者が住んでいる熊本(肥後)などは特にそうです。加藤清正は秀吉の筆頭格の家臣。清正の家臣団もまた平家であったはずでしょう。でも江戸時代に入り、熊本城を築いた後改易させられています。その後に熊本を永く治めた細川家は当然源氏です。明智光秀は、娘の玉子(ガラシャ)を細川に嫁がせています。
現在、熊本在住の人々は、永く治めた細川家ではなく、加藤清正を崇拝している傾向が強いと感じます。平家家臣団の子孫が多く住んでいる何よりの証拠と言えるでしょう。そしてキリスト教がかなり強い地域です。天草の乱などにもそれが見て取れますよね。
ってことなんで、次回は徳川家康君について書いてみるでござんす(笑)